2008年10月20日月曜日

祖母について

10/12に祖母が亡くなった.
享年83

体調を崩して入院中だったが,まだまだ元気だという話だった.
ちょうど三連休ということもあり
妻と二人で,祖母のお見舞いに行った.
結婚式に来たがっていたが,体調が思わしくなく結局,式には来れなかった.
と言っても,式のぎりぎり前も出席できるかもしれないというような体調だった.
移動が大変だろうということで式には来れなかった.

結婚式の写真も一部出来上がっていたので,それも持ってお見舞いに行った.

父から聞かされた話だと,お見舞いに行く前日
父が手の爪を切ってあげて,次に足の爪を切ろうとしたら
父をけって“お前には切らせない”と言って母を呼ぶように言ったそうだ
相変わらずプライド高く,元気だったそうだ.
そんな話をお見舞い前日の夜にしていた.

面会開始が午後一時からということで,病院へ移動していたら
電話があった.
体調が思わしくないので来てくれということだった.
移動中で今向かっているということを話したら,あっさりと電話は切られた.

病院に着くと,祖母の入院している四人部屋に向かった.
でも,そこに祖母の姿も祖母のベットもなかった.
体調が悪くなったので,個室か人数の少ない部屋に移されたのかと思った.
看護婦さんに聞いてみると
処置室に案内された.

処置室には,点滴と酸素吸入器が取り付けられた祖母が横になっていた.

ちょうど十分ほど前に息を引き取ったと説明された.

処置室に着いたのが12時半の少し前だった.
12時くらいに脈拍が弱くなり,12時20分に息を引き取ったそうだ.

間に合わなかった.
一人で逝かせてしまった.
一人はどんな気持だったのかと考えたら,涙が出た.
たくさんの“たられば”が出てきて,涙が止まらなかった.

駐車場に車を止めた父が後から来るので,
祖母の病室だった部屋の前で待っていた.

処置室の前には,シーツなどを入れておく籠が並んでいた.
祖母は,そんな部屋で亡くなったのかと考えると悔しかった.

死に場所を選べるのは贅沢なことだと思う.
それでも,そんな所で死なせるほど祖母の人生は安くない.

祖母は,看護婦をしていた.
普通の病院勤めの看護婦とは違い日赤の看護婦で,とてもすごい事らしい.
どのように凄いのかはよく分からない.
ただ,普通の人では成れないものらしい.
勉強ができる人で,仏壇から出てきた通知表には“甲”の文字しかなかった.

祖母には,海軍に行った兄がおり,その人から学費を出してもらい勉強ができた
と常々口にしていた.その兄のおかげだといつも感謝していた.

祖母は,戦争中,病院船に乗りたくさんの兵隊の看護を行っていた.
敵味方かかわらず助けていたこと,赤十字の船は攻撃されないんだということを
教えてもらった.
病院船では南十字星を見ることが出来たと言っていた.
戦争が終わると,広島で船を降り,原爆が落ちた広島を歩いたということを教えてくれた.

そして,祖父と出会い結婚し,父を産んだ.
結婚してからも祖母は,看護婦の仕事を続けていた.
祖母は父の弟を帝王切開によって出産するが,父の弟はすぐに亡くなってしまった.
小さい頃,一緒にお風呂に入ったときに,その時の傷跡を見せてくれたのを思い出す.
当時は,よく意味がわからなかった.
祖母も苦しんでいたのだろう.

父が小学校に入学したころ,祖母は肺結核に侵される.
三年ほど入院して,片方の肺を結核ごと潰すことで肺結核を治療したそうだ.
祖母は82才になっても片方の肺だけで,健康な82才の人の130%の呼吸ができていたそうだ.

退院しても祖母は仕事を続けた.
定年退職するまで仕事を続けた.
婦長を務めて退職する.

退職してからは,趣味の世界に没頭する.
ちぎり絵という和紙をちぎって描く絵を好んでいた.
ちぎり絵を習いに月に一回は京都に行くような生活だった.
NHKのホールで個展を開いたこともあった.
葬式の時に,久々に見たが,すばらしい作品だったと思う.
当時は,全然わからなかったけれども,今見ると
祖母の遺した作品は,どれも素晴らしい出来だった.

仕事や趣味に忙しかったので,
家族とどう係わっていったらいいのかわからない,不器用な人だった.
不器用な人だったのでよくオレや妹と喧嘩していた.
それでも,不器用ながらも愛情を注いでくれた.

“おらいの上孫”と言って可愛がってくれた.
帰省する度に“がんばれよ”と言ってくれた.

葬式のとき,思っていることはすべて言えた.
ここには,祖母が生きた証を記したかった.
祖母の人生は,祖母の死は,ぞんざいに扱われるものではなく
素晴らしい生だったのだと,留めておきたかった.

そして,かつて祖母の兄が祖母にしてくれたように
祖母もオレにしてくれたことを胸に刻んで
忘れないためにもここに記す.

誇り高い祖母が,誇れるように
オレも生きる.

ばあちゃん,八十二年間お疲れ様でした.
ゆっくり休んでね.

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